「ふたり 矢部太郎展」、はじまりました!

2024年4月24日(水)、芸人で漫画家、カラテカ矢部太郎の初の大規模展覧会が開幕しました。

矢部太郎さんをはじめ、PLAY! プロデューサーの草刈大介、会場のアートディレクションを手掛けた樋笠彰⼦さんが登場したプレス内覧会の様子をお届けします。

取材・執筆:宮崎香菜
撮影:吉次史成

草刈 2020年にPLAY! MUSEUMがオープンしてから、漫画の展覧会を開催するのは、「ふたり 矢部太郎展」で2回目となります。1回目はさくらももこさんの「コジコジ万博」(2022年)で、たくさんの方に見ていただき、お客さんの反応もよかったのです。もちろん漫画の知名度、作品のパワーがあってのことなのですが、会場で漫画の新しい楽しみ方を提案できた気がしました。そんな展覧会になんと矢部太郎さんもお忍びで来てくれたんですよね。

矢部 いや、普通に来ただけです!

草刈 受付で荷物をバーっと落とした人がいて、矢部太郎って書いてある領収書が見えたと言うんですよ、スタッフが。

矢部 わざと落としたのかもしれない……。

草刈 もしかして営業(笑)。いや、この話は展覧会をお願いしたあとに聞いた話です。

矢部 コジコジの漫画が本当に好きで展覧会にも来たのですが、新しい魅力を発見できてすごいなと思っていました。今回、同じ場所で展覧会をすることになり嬉しいです。僕の漫画にたくさん光をあてていただいているので、みなさんどうぞよろしくお願いします。

矢部太郎さん

草刈 PLAY! MUSEUMは「絵とことば」がテーマです。これらが合わさったときに生まれてくる特別な想像力や感情を伝えたくて企画を考えていますが、また漫画でそんな展覧会をやれたらいいなと思っていました。

矢部さんは漫画『大家さんと僕』(新潮社、2017年)を刊行して以降、漫画家としてのキャリアを着実に歩んできました。誰もが生きることが難しいと感じてしまうような今の時代、矢部さんの作品は多くの人に支持されており、そのことを展覧会では漫画を本で読むのとはちょっと違う形でご紹介します。

草刈大介

草刈 いちばんの楽しみどころは、矢部さんが描くシンプルな線の絵と言葉の組み合わせです。矢部さんは漫画をデジタルで描いているので、漫画の展覧会であるようないわゆる原画の展示とは異なります。デジタルデータを使って、会場で漫画の世界観をどう展開していくか、そのすべてを考えデザインする必要がありました。会場のアートディレクションや図録のデザインを担当してくださったのは、デザイナーの樋笠彰子さんです。取り組んでみていかがでしたか?

樋笠 私は子どものころから、矢部さんをテレビで観ていて……。

矢部 そんなに子どものころから出てました!?

樋笠 遅い時間のテレビに出ていた頃からお兄ちゃんと一緒に観てました。ずっと好きで『大家さんと僕』も買っていて。今回担当させていただくのは、デザインの金メダルをもらったなと思うくらいでした。

樋笠彰子さん

お笑い芸人、漫画家、俳優と多彩な顔をもつ矢部さんはどんな人物か。会場に入ってすぐのコーナーでは、幼少期から20歳で芸人デビューし、40歳で漫画家になり現在に至るまでを貴重な資料とともに知ることができます。なかでも子どものころ描いた絵や「たろうしんぶん」などは必見です。

草刈 この部屋と次のコーナーまでは矢部さんのお父さんの影響が濃く現れていますね。お父さんは絵本・紙芝居作家のやべみつのりさんです。

矢部 ここにあるものは父が取って置いてくれたものが、メインですね。

草刈 みつのりさんは、もうとにかくすごい面白い方です。お父さんと遊びながら絵を描いたり、工作をしたり、紙芝居や「たろうしんぶん」を作ったりしていたんですね。それから「さようなら体罰」っていうポスターがありますが、これはなんですか?

矢部 中学のとき図工の課題でレタリングでポスターを作ったものですね。体罰してる先生がいて嫌だなと思ったからです。当時から非暴力非服従という私のメッセージが表れています(笑)。

草刈 樋笠さん、このコーナーのデザインの特徴を教えてください。

樋笠 漫画の吹き出しの形のパネルを使って、矢部さん自身の楽しいイメージや漫画の世界を楽しめるようにしました。また、床に子どものころの矢部さんが落書きをしたようなイメージで線を引いています。

次は『ぼくのお父さん』(2021年、新潮社)のコーナーへ。『大家さんと僕』でデビューしたのち二作目に発表した漫画で映像インスタレーションや、やべみつのりさんの絵本や紙芝居も展示されています。

『ぼくのお父さん』

矢部 映像に映っているのは子どもの頃家族で住んでいた東村山の風景で、お父さんの三輪車のうしろから見た映像というイメージです。

草刈 漫画の中にお父さんの三輪車のうしろのカゴに矢部さんを乗せていろいろなところに遊びに行っていたというエピソードがあるのですが、それを映像にしました。どうして、二作目で僕のお父さんを描くことにしたのですか?

矢部 お父さんが、僕が生まれたときからずっとお父さんと描いてた絵日記「たろうノート」というのを持ってきてくれて、これをもとに次の作品は描いたらいいんじゃないっていうふうにお父さんからの売り込みがあったんですね(笑)。ノートの中には、僕の知らない僕とかお父さんがいて、いまの僕があのころのことを描いてみたいなと思ったんです。

草刈 お父さんはずっと家で絵を描いたり、写真撮ったり、矢部さんと遊んだりしていて、そういう様子を時間が経ったいまもう一度思い出して描くというすごく特別な作品ですよね。

矢部 そうですね。『大家さんと僕』も大家さんが自分なりの楽しみ方とか喜びを持って生きていらっしゃるのが素敵だなと思って、僕なりにフィクションで描かせていただいたものでした。同じように父に対してもそういうところがすごくいっぱいあったんじゃないかなと思って、そこを見つめました。

草刈 それから、真ん中に置いてある大きなものは……。

矢部 これはお父さんと一緒に、PLAY! MUSEUMの上の階にあるPLAY! PARKに遊びに来ていたお子さんたちと作った宇宙船です。こういう工作を父とよくしてて、それをなんか久しぶりにさせてもらいました。作ってるときにお父さんが僕の耳元に来てボソッと、懐かしいねって(笑)。すごいいい経験をさせてもらいました。

子どもたちと制作した「うちゅうせん」

草刈 宇宙船をつくるイベントの当日、お父さんは出版社の編集の方とここで待ち合わせて絵本のラフを提出することになっていて、ちょっとお疲れでしたが、これをやり始めたとたん、もう俄然元気になって。

矢部 そうでしたね。牛乳パックを重ねて4本の柱をつくって……とどんどん進めていくんです。宇宙船の作り方なんで知っているの?って(笑)。

草刈 できたら柱の太さや形がバラバラになっちゃったんですよ。でも、形が違うね、いいねって言うんです。揃えようとかそういう既成概念がないんですよね。子供たちが自由に太くしたり本来はつけなくてもいい場所に牛乳パックを多くくっつけたんですよね。普通だったら取ってやり直してもいいのに、「でべそだ、いいねえ」って。そういう方から矢部さんのような方が育つのですね。

矢部 なんでもいいねって言ってもらっていたような気がします。

草刈 ここでは『ぼくのお父さん』の漫画も読めるように展示されています。何となく展示されているように見えるかもしれませんが、これ全部樋笠さんがデザインしてくださいました。漫画のコマをパネルに印刷して、微妙に大小をつけたり、コマの順番も少し変えたりしています。

樋笠 展覧会ならではの読み方ができる組み方を考えました。パネルの周りの色も、『ぼくのお父さん』の雰囲気が味わえるように緑と土のイメージにしました。

『ぼくのお父さん』

草刈 矢部さん、できあがってみて本との違いはどうですか?

矢部 漫画を展示で楽しむというのは、非常に新しい試みだし、うまくいっていると思います。

草刈 漫画作品は本になることが前提でつくられているから、その考え方から自由になるのがなかなか難しかったですね。もともとは4段組で、そこに意図があって描かれているので、それをバラバラにしていくっていうのは矢部さんとしても最初は違和感があったと思います。ある部分は省かなくてはならなかったのですが、それをやっていくことで、余白も生まれて、何か違う体験ができるのは、画期的だと思います。

矢部 僕がオチとしていたコマとかがスパッとなくなってたりして……。オチ、いらなかったのかな、なんて(笑)。 オチって次のページをめくってもらうためだったり、リズムのために入れてたりするものもあるから、物語としてひと連なりに見せるときはこういう構成がありなのですね。

続いて、うず巻き状のPLAY! MUSEUMの展示空間の真ん中に位置するもっとも広い空間に入ると、矢部さんの代表作である『大家さんと僕』の展示が始まります。入り口では大家さんが来場者の「帰宅」をお出迎えするインスタレーションも登場。樋笠さんが展示コンセプトを説明しました。

樋笠 まず入り口から出口まで壁側に沿って、大家さんとの出会いから別れまでが道のようになっていて、そこに漫画のコマを並べました。途中で矢部さんが描き下ろしたアクリル画も飾っています。壁側がストーリーを表現しているのに対し、真ん中のテーブルにはちょっとクスッと笑えるエピソードを展示していて、大家さんと矢部さんの顔の形になったお盆にコマをデザインして印刷しています。

草刈 展覧会のテーマは「ふたり」です。漫画には矢部さんと誰か、ふたりの会話や関係の深まり、すれ違いといったものが、リアルかつ優しく受け止められるように描かれています。展覧会の入口から出口まで、矢部さんと誰かの「ふたり」という関係で進めていくという設定をしています。

矢部 色やデザインがポップでかわいらしいんですけど、なんだか神聖でもあるなと思えて、それがすごく嬉しいですね。僕にとって大家さんも、そして漫画の『大家さんと僕』もそういうものなので。

樋笠 大家さんは漫画の中では面白く描かれている部分もたくさんあると思うのですが、矢部さんにとって本当に大切な方です。そのことは、ずっと気にしながらデザインしました。

草刈 このコーナーの中で、矢部さんにとっておすすめポイントはどこでしょうか?

矢部 壁に展示された漫画の物語が一本の道のようになっていて、人生のようにも見えるところです。それに、この展示空間で漫画を見るとき、誰かが自分より前にいたらそれ以上は進めないから、待つことになったりしますよね。それが、ひとつの物語を皆で共有するような感じがして、家で漫画を読むことではなかなか体験できないことだと思いました。

あとは紙芝居の上演ですかね。最初のコーナーにも、子どものころお父さんと作った紙芝居がありますが、お父さんが取り組んできた紙芝居って、僕の漫画のコマと一緒で、同じ形の枠に描かれた絵を読み進めることでお話が進んでいくし、父は僕に演じてみせてくれてもいたので、その芝居と漫画、両方やってる僕に通じると思うんで。

草刈 漫画に色をつけて紙芝居をつくってくださり、矢部さんが練習をして、一発撮りしてくださいました。

草刈 それから、最終話「大家さんと僕 これから」をアニメーションにした作品は、矢部さんが1年前から習っているチェロの演奏をBGMにしています。

矢部 チェロはちょっと恥ずかしいのですが、アニメーションは素晴らしいです。

『大家さんと僕』最終話のアニメーション

最後に、アニメーションを映したスクリーンが吊るされた通路を抜けると、展覧会のために矢部さんが挑んだ約100点のアクリル画を観ることができます。

矢部 描き下ろしで100点新しく絵を描かせてもらったことで、もう一度、物語を辿ることにもなったので観てほしいです。約100点ありますので、約……。

草刈 約……? 皆さん、数えないでくださいね(笑)。矢部さんに相談したときは、すごい良いタイミングで「横尾忠則 寒山百得」(東京国立博物館、2023年)を観に行ったばかりだったんですよね。それで、100点描く!って。

矢部 そんな強く言いました?

草刈 いえ、すごく控えめにおっしゃっていましたね。100点描けたら面白いですよね、という感じで数えないことを前提に取り組んでいただきました。いまも描き続けているものをSNSで発信されていますね。普段アクリル絵の具で描くということはあるのですか?

矢部 そんなにないですね。番組でイラストを書くときとかはあったりしたんですけど、漫画のストーリーをテーマにした絵を描いたことはないので初めて近いんです。

描き下ろしのアクリル画

草刈 アクリル画を観ていただいたあとは、展覧会図録のために、描き下ろしていただいた漫画「昼寝姫」をテーマにした展示しています。女の子がくるくる回っているデザインはどうしてでしょうか?

樋笠 本当に軽やかな漫画でその雰囲気を伝えたいと思いました。図録を買って読んでいただきたいので展示ではチラ見せです。

矢部 俳句の会に参加したときに、昼寝は夏の季語と知ったのがきっかけで16ページの漫画にしました。

草刈 女の子が主人公というのは初めてですか。

矢部 そうですかね。でも、大家さんも女の子だから。

「昼寝姫」

展覧会の最後にある奥にあるコーナーには、近作『楽屋のトナくん』(2022年〜、講談社)、『マンガ ぼけ日和』(2023年、かんき出版、原案・長谷川嘉哉)、さらに3月に発売されたばかりの最新作『プレゼントでできている』などに関連する展示も。『大家さんと僕』の手描きネームや手塚治虫文化賞短編賞のトロフィーなども展示されている。

草刈 そして出口のそばにある電話はなんでしょうか。

矢部 これは『大家さんと僕』で大家さんとうどんを食べに行って、そのお店に置いてある公衆電話を僕が耳にするっていうシーン(「うどんとホタル」)があるので、それと同じように電話を置いて、来ていただいた方に受話器を取っていただいて、僕とふたりみたいなことができないですか?と提案させていただいた、唯一、僕発信の展示です。

草刈 矢部さんが突然こういうのつくれませんか、とラフスケッチを送ってくださいました。受話器を取ると、矢部さんが何か語りかけてくれるという矢部さんからのプレゼントですね。

矢部 もう少しひっそり置いてあるイメージだったのですが、堂々と置いてあるので手に取ってくれそうですね。

草刈 漫画家としての矢部さんのこれまでの作品を紹介する大きな展覧会となりましたが、展覧会としてこの場ができて、何か新しい発見はありましたか?

矢部 結構、描いていたんだなと。描いたら、あまり振り返らないので。かなり私も大作家なんだなっていうことを感じております(笑)

草刈 展示空間でもう一度漫画のストーリーを思い出してもらえたり、ユーモアの部分も楽しんでもらえたり、たくさんの見所があるのですが、何を置いても矢部さんの漫画が素晴らしいので、そのことが立ち上がってくる展覧会になっています。

矢部太郎さん

矢部太郎(やべ・たろう)

1977年東京都東村山市生まれ。芸人・漫画家。吉本興業所属。
1997年に「カラテカ」を結成。お笑い芸人としてだけでなく、舞台やドラマ、映画で俳優としても活躍している。初めて描いた漫画作品『大家さんと僕』で第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞し、シリーズ累計では120万部を突破。その他の著作に、絵本作家である父との幼少期の思い出を綴る『ぼくのお父さん』、人気者になりたい動物たちの楽屋での姿を描いた『楽屋のトナくん』、認知症患者とその家族の日常を描いた『マンガ ぼけ日和』がある。2021年から手塚治虫文化の外選考委員を務める。

樋笠彰子(ひがさ・しょうこ)

デザイナー、アートディレクター。香川県生まれ。東京藝術大学デザイン科卒業後、雑誌のデザインチームや、フリーで色々なデザイナーのアシスタントを掛け持ちしながら、2016年頃に独立。たまたま手に取った活字ケースから「海」と「例」という活字が落ちてきた体験から、偶然の出会いを大切にしたいという思いで「海と例」という事務所名に。PLAY! MUSEUMで「コジコジ万博」「ONI展」の図録のデザイン、「クマのプーさん」展「鹿児島陸 まいにち」展のグッズデザインを担当。

草刈大介(くさかり・だいすけ)

朝日新聞社勤務を経て、2015年に展覧会を企画し、書籍を出版する株式会社「ブルーシープ」を設立して代表に。PLAY! MUSEUMのプロデューサーとして展覧会、書籍のプロデュース、美術館や施設の企画・運営などをてがける。