【矢部太郎展インタビュー】朝日新聞文化部記者・小原篤さんが語る矢部作品

優れた漫画に贈られる、漫画の神様こと手塚治虫の名を冠した「手塚治虫文化賞」。矢部さんはデビュー作にして大ヒット作品『大家さんと僕』で、短編賞を受賞しています。長年その最終選考に立ち合ってきた朝日新聞文化部記者・小原篤さんに、矢部作品について話を聞きました。

取材・執筆:岡本奈生加

矢部太郎さんの漫画は、「別れの物語」。

 『大家さんと僕』の受賞はすんなり決まりました。選考委員から何度もあがったことばは、「うまい」。漫画がうまいんです。描写にしてもお話にしても、シンプルだけれど、そぎ落とした適格な表現、構成、会話、絵。そのうまさですよね。
 手塚治虫文化賞の贈呈式で里中満智子さんがスピーチをされましたけど、最初は「器用な芸人さんなのね」みたいな先入観を持っていたそうで。読んでみると、まあうまいのに驚いて、「この人どうして芸人やってらっしゃるんだろう? 初めからコッチにすればよかったのに」と。会場は爆笑でした。

――本職でない作家による受賞は1997年の創設以来はじめての快挙です。

 芸人も漫画家も役者も、人間観察が好きといいますよね。そこは一つの資質としてつながっているんじゃないかと思います。それと同時に、矢部さんの作品には対象に対しての程よい距離感みたいなものを感じる。それは突き放す厳しさ、冷たさとは違って、一歩引いた奥ゆかしさがあるんです。「さらりと客観視した先の愛あるツッコミ」、それがこの読み心地の優しさを生んでいるんじゃないでしょうか。彼の芸風と通じ合うところかもしれませんね。

――矢部さんの人柄も滲み出ていますね。

 だれが見ても奥ゆかしい人というか、奥ゆかしいを通り越していつもなぜか申し訳なさそうにしている(笑)。だから読む人を構えさせず、すっと入ってきて心地よく寄り添ってくれる。ほのぼのしてゆったりしてユーモラスで、ちょっとのペーソスが滲む、それは矢部さんの資質なんですよ。

――今日は『マンガ ぼけ日和』(以下『ぼけ日和』*)をお持ちくださったんですね。

 今のところ私が一番好きなのは、実は『ぼけ日和』なんです。画風と語り口と題材がベストマッチという感じがして。重く、苦しい、すごくシリアスなところに切り込んでいくからこそ、矢部さんのあたたかさとユーモアとペーソスがうまく生きる。認知症の不安や周りの苦しみを、こうはなかなか描けません。かくも優しく寄り添って、救いのようなものを感じさせるのは、すごいことです。
 それから、『ぼけ日和』を読んで改めて感じたのは、やっぱり絵のうまさなんですよ。なんてうまいんだこの人は、と思いました。線の描き分けなんです。不安、怒り、いらだち、そしてすっと表情が消える……いろんなものがわずかな、最小限の線で描き分けられる。「ここはもうこの線で描く以外にない」というものです。これはうまい。

――シンプルな線は、ともすると「ヘタウマ風」と表現されることもあります。

 ページを開くとそういう作品ではなかったと、読者はすぐに分かるんじゃないかと思うんです。確かに表紙を見ると、「難しい絵は描けないからこんなにシンプルなんだ」と思うかもしれませんが、読み始めるとたちまちそういう印象はなくなるはずです。
 でも、読みやすくできていて、優しい語り口で、そのまますうっと自然に作品に引き込まれる。だからほかならぬ私も『大家さんと僕』を読んだとき、もちろん漫画はうまいんだけれど、絵がうまいかと言われたら、実はそういうことはあまり意識していなかった。『ぼけ日和』を読んで、ああ、この人は絵がものすごくうまいんだと気付きました。そういうことを忘れさせちゃうんですね。作品の中にすっと誘い込まれてしまって。

――矢部さんは手塚作品の大ファンで、教室に居場所がなく、逃げ込んだ図書室で出会った『火の鳥』に救われたことを明かしています。画風はまったく異なるふたりですが、手塚イズムを感じたところはありますか。

 やはり人間賛歌だということですよね。『大家さんと僕』は、年齢も境遇も生き方も、まったく違うふたりが心を通わせるようになります。その関係の先、老境の大家さんに訪れる最期をどうとらえるのか。矢部さんは結局お別れまで描ききることになって、そこには「人はいとおしいもの、人生は素晴らしいもの」という前向きなものがはっきりとあらわれていると思います。
 そしてだれもがなんとなく抱いている、人は生まれ、老いて、いつか死ぬものなんだ、というプリミティヴな感覚。それはご本人が繰り返し言及されている『火の鳥』と、響き合うものがあるのかもしれません。

――矢部さんの作品には「だれかとの別れ」が多く描かれますね。

 別れというのがテーマなんでしょうね。どうしてもそこに引き寄せられるというか。私には、矢部さんは「会うは別れの始め」という物語にずっと取り組んでいるように見えます。大家さんもずいぶんお年寄りなんだという描写が出てくると、そこに別れの予感みたいものがふわっと漂ってきますし、『楽屋のトナくん』もやっぱり別れのドラマですよね。動物園を辞めていく仲間もいるし、年配の師匠なんかが出てくると「やっぱりいずれは」という雰囲気が漂ってくる。もちろん『ぼけ日和』もそうです。ですから、矢部さんの描き方を読んでいくと、別れはいつか必ず来るもの、悲しいけれどそういうものなんだ、と優しく覚悟させてくれるような感じもしますね。なぜ別れを描くのか、矢部さんに聞いたことはないけれど。
 たぶんこれからも、別れの物語はずっと描き続けるんだろうと思います。それを基調とした器に、なにが盛られるのか。そのケミストリーでいろいろと楽しませてくれるんじゃないかと見ています。

――80歳を超す大家さんとの語らいを通じて、戦争を描くシーンも多く見受けられました。

 大家さんのちょっとしたつぶやきから歴史が、特に戦争というものが見えてくる、そのあたりも評価されていましたね。身辺雑記にとどまらない、射程の長いテーマにも取り組んでいる。
 そして『大家さんと僕』のタイミングが絶妙だったと思うのは、矢部さんの出会った相手が、戦争の記憶を持っている世代の方だったということです。ふたりがこういうタイミングで出会えて、戦争の記憶がこういうかたちで残ったのは、よかった。
 漫画『この世界の片隅に』の巻末に、こうの史代さん自身の言葉が書き添えられているんです。「間違っていたなら教えてください 今のうちに」。知っている人がいるうちに残しておかなければいけない、こうのさんの切なるものが滲むことばです。それを連想しますね。大家さんの記憶をよくぞ書きとどめてくださった、そういう思いがあります。

――『大家さんと僕』の刊行から数年後、コロナ禍が世界を襲いました。人のつながりが断たれ、うまく別れを言えずに離ればなれになった人たちがたくさんいます。今だからこそ、矢部さんの作品が私たちに与えてくれるものとは何でしょうか。

 コロナ禍や自然災害は、日常の大切さをみなに思い知らせました。それはつまり、かなり広い範囲でフィクションに対する受け止め方を変えた出来事だったと思うんです。およそ日常からまったく離れた作品、どんなフィクションにも多かれ少なかれ入っている、日常の大切さ。それは『大家さんと僕』にかぎりません。
 たくさんのフィクションの中に響き合う日常の大切さ、そして人は出会うけれど、やがて別れゆくという宿命。それらがお腹の中にずっとあって今、より感動的なものが得られるんじゃないでしょうか。

――最後に、手塚さんといえば、多くの若い才能に嫉妬していたという話が有名です。もし手塚さんが矢部さんの作品を読んだなら、どんなことを言うでしょうか。

 長女の手塚るみ子さんは手塚治虫文化賞贈呈式後のトークイベントで「父はきっと嫉妬している」なんて言っていましたね。もし手塚さんが嫉妬して矢部さんの作品を真似しようとするなら……このシンプルな絵なんじゃないかと思います。描くのがものすごく難しそうな絵に嫉妬心を燃やして、「これくらい俺も描ける!」と言っていた人だから、このシンプルな絵でどれだけのお話を作れるか、みたいなところに対抗心を燃やしたかもしれないですね。

*認知症専門医・長谷川嘉哉によるエッセイ『ボケ日和』を原案として、矢部太郎が漫画化

小原篤(おはら・あつし)

1967年生まれ、東京大学文学部卒。91年に朝日新聞社入社、98年から学芸部(現・文化部)。漫画、アニメ、映画を中心に取材を続け、2007年から朝日新聞デジタルでコラム「小原篤のアニマゲ丼」を連載中。

*「ふたり 矢部太郎展」詳細はこちら

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2024年4月24日(水)ー7月7日(日)/10:00-17:00(土日祝は18:00まで/入場は閉館の30分前まで)
「ふたり 矢部太郎展」2024年4月24日(水)ー7月7日(日)
2024年4月15日(月)−23日(火):MUSEUM・SHOP・CAFEはクローズ/PARKは通常営業