「みみをすますように 酒井駒子」展に合わせ、酒井駒子さんの絵本を担当した編集者を訪ね歩いてインタビューする「しあわせの編集者」の第3回です。
今回訪ねたのは、『金曜日の砂糖ちゃん』や『はんなちゃんがめをさましたら』という酒井さんの独自の世界観が表現された絵本を編集した偕成社の広松健児さんです。
取材・執筆:らび
偕成社から酒井さんの絵本は5冊出版されています。
古い順に並べると『リコちゃんのおうち』(1998年)、『よるくま』(1999年)、『赤い蝋燭と人魚』(2002年)、『金曜日の砂糖ちゃん』(2003年)、そして『はんなちゃんがめをさましたら』(2012年)です。
『赤い蠟燭と人魚』は小川未明さんの文に酒井さんが挿絵を描きました。あとの4冊は酒井さんが文と絵をともに手がけた絵本です。
5冊すべて、広松さんが編集したのですか?
「いいえ、『リコちゃんのおうち』『よるくま』『赤い蝋燭と人魚』の3冊は土井章史さんの編集によるものです。私が偕成社に入社したのは『よるくま』が出版された1999年でしたが、酒井さんにお目にかかったのは、その翌年の初めての個展のときでした」
土井章史さんというのは、この連載の初回で紹介した新人絵本作家の養成講座「あとさき塾」にかかわっていたフリーの絵本編集者です。
ストーリーを感じさせる絵
土井さんは、かつて東京・吉祥寺で営んでいた絵本専門店「トムズボックス」で酒井さんの作品展を開いたことがあります。2000年のことでした。その会場を広松さんは訪れ「なんて魅力的な物語性のある絵なんだ」とすぐに酒井さんの作品世界に引き込まれていきました。
「それまでにお描きになっていた絵本の絵とはまったく違うものでした。子どもの一瞬のしぐさや表情が描かれているのに、その子のこれまでの時間、そして未来へつながっていくストーリーを感じて、こんな絵が描ける人と一緒に絵本をつくりたいと思いました」
さっそく酒井さんに手紙を書いてその思いを伝えます。そして2003年に『金曜日の砂糖ちゃん』が世に出ることになったのです。2005年のブラチスラバ世界絵本原画展で金牌を受け、酒井さんが世界に羽ばたくきっかけになった絵本です。
実は広松さん、ブックデザインを担当したデザイナーの方のことも思い出深いのだそうですが、その人のことは、もう少し後で紹介しますね。
さて、『金曜日の砂糖ちゃん』は3つの短編からなる、タイトルもお話も極めてユニークな絵本です。どのようにしてできたのでしょうか。
広松さんは「てのひらに乗るような、小さなお話を集めた短編集のような絵本をつくれないかと考えたのです。打ち合わせをしていくうちに、子どもが一人でいる時間というテーマが浮かびあがってきて、あとは細かな注文はしませんでした。酒井さんには自由につくってもらうことにしたのです」と振り返ってくれました。
ページをめくる喜びを感じる
タイトルについては酒井さん自身が絵本雑誌「MOE」2021年5月号で、このように書いています。
「家の者がチュニジアのおみやげに持って帰ってくれた砂糖に、現地の言葉が書いてあって、『金曜日の砂糖』という意味だと聞きました。その言葉の響きが楽しくて、自由にイメージをふくらませて絵本を描きました」
全編にちりばめられた詩的な言葉たち。そして、素敵な絵。「そしてそこにページをめくる喜びがあるのです」と広松さんは魅力を語ります。
「『金曜日の砂糖ちゃん』の1つ1つのお話は短くて、起承転結のような構成もありません。でも、見開きから次の見開きへの視覚的な展開が、ページをめくることによってドラマを生んでいるんです。優れたページ割ができるのは絵本作家に必要な大きな才能の一つです。酒井さんは中学生のころには『赤い蠟燭と人魚』のページ割を思い浮かべていたと聞いていますが、天性の絵本作家を感じさせるエピソードです」
もうひとつ、『金曜日の砂糖ちゃん』にはとてもユニークなところがあります。文の活字が一文字、一文字で違うのです。書体はすべて明朝体なのですが、一文字ごとにフォントを変えて何種類かの明朝体が混ざっています。加えて、たとえば「が」という活字では「か」と濁点の「〃」をわけて、それぞれ違うフォントにしているのだとか。
「そんな凝ったことをするデザイナーはあの人ですよね?」と聞くと「はい、祖父江慎さんです」と広松さん。
広松さんの提案で、酒井さんと祖父江さんの初顔合わせの絵本となりました。
「祖父江さんはそれまであまり絵本は手がけられていなかったと思いますが、『こんなことをやってみたいんです』『紙はこんなのを使いたいんだけど』と、わくわくしたような声で提案してくるのです。こちらも、祖父江さんのわくわく感にのせられてしまいました。酒井さんも祖父江さんも私も、しあわせな気分でこの絵本をつくったのを覚えています」
ほら、広松さん自ら「私はしあわせの編集者」と告白していますね。
酒井さんも偕成社のホームページにこう寄せています。
『金曜日の砂糖ちゃん』に描いた子どもたちが「編集の広松健児さんに大切に育てられ、デザイナーの祖父江慎さんの手で、本当に素敵に可愛らしくしていただけた」と。
ちなみに、祖父江さんは今回の「みみをすますように 酒井駒子」展 展覧会図録のデザインも担当しています。
普遍的な「子どもらしさ」に訴える
広松さんは『はんなちゃんがめをさましたら』も編集しています。
これも酒井さんが文と絵をともに手がけた絵本です。
この絵本について酒井さんは先ほど紹介した「MOE」2021年5月号にこのように書きました。
「小さいときに目が覚めたら、まだ夜だった記憶があります。みんな寝ていて、夜明け前の4時くらいでしょうか。空の青いような、青いけどまだ夜で暗い不思議な感じが印象的でした」
夜明け前の青い空は『よるくま』に描かれている空気感と同じです。それに『金曜日の砂糖ちゃん』のおしまいの短編「夜と夜のあいだに」にも似たような雰囲気を感じます。「確かに、物語に流れている時間は共通のものがあります」と広松さんは同意してくれました。
それはそうと『はんなちゃんがめをさましたら』を読むと、もう十分に大人であるにもかかわらず、どうしてはらはらして、こころが波立つような気持ちになるのでしょう?
「自分のなかに持ち続けている子どものころの感受性を引き出してくれるからでしょう。郷愁というのとは違います。だれもが大人になってもまだ、普遍的な子どもらしさを持ち続けていて、その部分に訴えかけてくるのだと思います。だから、国を超えて支持されているのでしょうね」。このように広松さんは解き明かしてくれました。
絵本をつくるやりとりで広松さんが覚えていることがあります。お話の終盤でハトが鳴いて夜明けを迎える場面があります。一度手渡したそのハトの絵を酒井さんはあらたに描き直して差し替えました。
「最初の絵も美しかったのですが、再度いただいたハトの絵は感動的なものでした」
酒井さんの絵本づくりに対する真摯な思いが伝わってきます。
広松さんは「これは私の個人的な感想ですが」と断ったうえで、こう話してくれました。
「『はんなちゃんがめをさましたら』は東日本大震災の翌年に出版されました。みんなが寝静まった家の中で、夜中にたったひとり目をさました女の子のお話です。その子が夜明けに美しいハトを見るというラストに託されたささやかな希望が胸にしみました」
自分の感受性を持ち続ける人
広松さんは絵本をつくりたくて出版社に入り、そして酒井さんと出会いました。
「ラッキーでした。出会いに感謝しています」
酒井さんはどういうタイプの絵本作家ですかと尋ねると「絵本をとても大切につくる作家です。インスピレーションがわいて、最初のラフ(下描き)が出来上がると、もうすでに完成度はかなり高いものになっています。編集者として、創作への機が満ちてくるのを待っています」と広松さん。
その待っている間も楽しいのだそうです。
「酒井さんとお話すると、いろんな刺激があるんです。最近見た映画とか読んだ本とか。日本画家の鏑木清方の随筆から青年誌で連載されている漫画まで、ほんとに色んなジャンルなんですけど、これがどれも面白い。人は大人になるにつれ、自分の感受性の鮮度をそのまま保ち続けるのが難しくなります。でも、楽しいもの、面白いものを勧められるたび、酒井さんはそれができている人だなと感じるのです」
広松さん、あなたはなんてしあわせな編集者なのでしょう。
らび
自ら「らび」と名乗っている初老のおじさんです。うさぎが好きで「ぼくは、うさぎの仲間」と勘違いしているからです。ディック・ブルーナさんを尊敬しています。著書に『ディック・ブルーナ ミッフィーと歩いた60年』 (文春文庫) 。