フォトエッセイ「立川日記」しまおまほさん

立川の、いろんな楽しみ方

さまざまな分野で活躍するクリエイターたちにPLAY! や立川を散策してもらうシリーズ。第三弾は、作家のしまおまほさんが登場!

悪魔のおにぎり

最近、7歳の息子にねだられて「悪魔のおにぎり」を作るようになった。天かすとめんつゆ、青さをご飯に混ぜたおにぎり。しょっぱくて、油分があって、子どもたちが大好きな味だ。少し前までは一部のコンビニでしか見かけない商品だったが、ここ最近になってスーパーなどでも手に入るようになった。店によっては「たぬきおにぎり」なんて名前で売られていることもある。

立川市役所前にある国立極地研究所の前で、まず頭に思い浮かんだのはそのおにぎりだった。数週間前、南極観測隊の第57次越冬隊・調理担当の女性がラジオにゲスト出演していて、自身の「悪魔のおにぎり誕生秘話」を話していたのだ。越冬隊は1年数ヶ月にわたる滞在中に食糧補給が出来ない。故に限られた食材の中でのやりくりするのが調理隊員の腕の見せ所だと話していた。ある日、彼女は夕食の天ぷらで残った天かすをおにぎりの具材にすることを思い付いた。夜食についつい食べすぎてしまうことから「悪魔」のネーミングも観測隊のひとりが付けたという。

南極観測隊はこの雪上車で昭和基地を出発し、南極点を目指した。写真:「国立極地研究所南極・北極科学館」

富士山の高さよりも厚い氷の大陸、冬にはマイナス70℃にもなる外気温、沈まない太陽。南極の神秘と氷の世界にポツンと建つ基地の中で観測隊が送る生活はわたしたちの想像の遥か彼方にある。しかし極地探検を志し、南極点へ果敢に挑戦した白瀬探検隊の犬橇の実物展示を前に、彼らの探究心と勇気の先に悪魔のおにぎりの誕生があり、それを自分が作り子どもが喜んで頬張っている不思議をしみじみと感じた。地球の南のはて、日本から14000キロ離れた南極とわたしたちは繋がっている。

今は廃止された犬橇だが、極地で犬の存在は癒しだったに違いない。受付横のガチャガチャの景品にはタロージローのミニポーチもある!写真:「国立極地研究所南極・北極科学館」

ノスタルジック立川

わたしにとって立川の思い出といえば、昭和記念公園と立川美術学院だ。昭和記念公園に初めて訪れたのは高校1年生。1994年頃のこと。「天才たけしの元気が出るテレビ!!」の「平成口ゲンカ王決定戦」で人気者になった高校生・三上大和くんをひと目見ようと、クラスメイトのレイリちゃんと日曜の朝から公開収録の見学に出かけたのが昭和記念公園だった。モノレールもエスカレーターも歩道橋もなかった立川駅。世田谷から1時間以上かけてたどり着いた初めての土地に私たちは途方に暮れた。マクドナルドには近寄り難い若者たちがいて、小さなパン屋で朝食のパンとコーヒー牛乳を買った。交番の警官に公園までの道のりを訪ね、不安いっぱいにトボトボ教えられた通りを真っ直ぐ歩いた。人はさほどいない。商店街には古びた煎餅屋や弁当屋、居酒屋などが並んでいた。静かな街だと思った。「元気が出るテレビ」という名前とは裏腹に、口数の少ない私たち。当時、歳の割に幼かったわたしは保護者なしの遠出は数回しか経験がなかったのだ。タランティーノの映画も、ブルーハーツのライブも、父か母と一緒だった。

公開収録は大和くんを見れた喜びよりも、カメラの回っていない所でレポーターの峰竜太に「もうちょっと静かにして人の話を聞きなさい!」と怒られたショックの方が大きかった。わたしたちは昭和記念公園で、峰竜太が実はちゃんとした怖い大人だということを知った。

公園が広くて、収録場所になかなか辿り着けなかった記憶

美大に入学すると、出身予備校を言うのが自己紹介には手っ取り早かった。手堅く勉強していた代ゼミ出身者、遊びも知っている“シンビ“(新宿美術学院)出身者…そして実力とセンスを兼ね備えた“タチビ“(立川美術学院)出身者。予備校によって不思議と生徒に色があった。わたしの憧れはタチビ生。タチビの子たちはみんなどこか飄々としていた。デッサンが上手で美大とはなんたるかをよく心得ているんだ。一体、どんな場所に通っていたんだろう、他にはどんなかっこいい生徒がいたんだろう。そんな風に想像を膨らませていた代ゼミ出身のわたしが、彼らの通っていたビルを訪れるまでにまさか25年も月日が経とうとは。タチビ生がよくたむろしていると聞いていた「第一デパート」は、もうない。

おそるおそるビルに入るとロビーにはデッサン、油絵、平面構成が飾られていた。四半世紀経ってもやっぱりタチビ生は上手い!タチビ生。中学生の作品もある。わたしが代ゼミに通い始めたのは高2の時だったもんなあ。

事務室から出てきたおしゃれなお姉さん、わたしのこと保護者だと思っただろう。ホントはタチビ生に憧れる代ゼミ生なんです。

立川探検隊

シネマストリートを散歩中、古布を取り扱う店を見つけた。古くは江戸時代の古布もあるという。昔は1階に着物の仕立てと直しをする店があり、買った布を持って仕立てを頼むのが常連客の楽しみだったようだ。うず高く重なる布の層をかき分けてお気に入りの1枚を探す作業は宝探しかはたまた遺跡発掘か。

古布を色々買ってみた

途中、店先がジャングルと化したかつての大衆食堂跡を通り過ぎると年季の入った看板が懐かしい金魚専門店があった。かつてわたしの家の近所にもこんな佇まいの熱帯魚や小鳥を売る店があった。小学生の頃、そこでアヒルを買ったっけ。薄暗く、ひんやりした店内。まるで洞窟に入ったような。思い出が蘇る。

シネマストリートを抜けて、東橋交差点に出ると何やら庭に緑色のガラス壺が並んだ家がある。樽を肩に乗せた職人の像の横には「キッコーヤス 村野醸造場」の看板。かつては立川で醤油を作っていた?謎は深まるばかり。

立川探検隊は今日もゆく。

シネマストリートはおもしろい

トヨタドライビングスクール

道に迷っているうちに、なにやらだだっ広い敷地に出た。工場か、はたまた撮影スタジオか。敷地の真ん中に、鉄塔と見覚えのある小さな三角屋根の小屋が建っていた。黒の黄色のポールがぶら下がった…あれは車庫入れの練習スペース!三角屋根は検定の時に順番待ちをする小屋だ。今年4月まで教習所に通っていたわたしはすぐにピンと来た。そういえば、街でも頻繁に見かけていたのだ。「トヨタドライビングスクール」のロゴが入った送迎バスや教習車を。そのたびに教習所へ足繁く通っていた半年前の自分を思い出していた。

「トヨタ」のレトロなロゴが入った時計台も、なんだか可愛らしいのだ。

タチカワ、旅気分

立川での嬉しい発見の一つは「マユール」だ。大きな窓のある一見ファミレスのような外観のインド料理屋である。中に入るとガラス張りの厨房にはタンドール窯。さらに奥に吹抜けのスペースがあり、とにかく広い!後でホームページを調べて見ると、パーティー会場としても利用されているらしく、チアガールたちが組体操をしている写真が掲載されていた。確かにここでどんなにアクロバティックなことをしたって平気だろう。天井からぶら下がるシャンデリアとミラーボールにさえ気をつければ。

席について、周囲を見渡せば、ゆったりとチャイを飲む主婦の会合、大きなナンと格闘する5才くらいの女の子、遅めのランチにビリヤニを頼んだカップル。老若男女が思い思いに食事の時間を楽しんでいる。4年前に旅行した南インド・チェンナイのレストランもちょうどこんな感じだった。時間に追われることなく、おしゃべりしながら皆ずっとカレーを食べていた。

こんな気軽で牧歌的なインド風ファミリーレストランが、わたしの家の近くにも欲しい!

最終目的地は…

街の喧騒から少し離れて空気が変わる。昭和記念公園の前に差し掛かり、また峰竜太のことを思い出す。のーかる・バザールでは立川名物“濃厚調味料”「もとだれ」を買った。これで悪魔のおにぎりを作ろうと思う。道すがらにすれ違うパブリック・アート。さっき買った古布で何を作ろう、あ、またトヨタドライビングスクールの教習車。

PLAY! の庭では、マーケットが開かれていた。水草が広がる池は、さながらモネのよう。
懐かしさと、思い出、探検のような散歩と、新しい場所と発見、そしてアート。

「クマのプーさん」展(2022年7月16日(土)−10月2日(日))を見ながら、なんだかわたし、クリストファー・ロビンみたいに立川を冒険しちゃったなって思ってた。

*南極・北極科学館の利用案内につきまして、ウェブサイトで最新情報・開館日カレンダーをご参考の上、ご来場ください

しまおまほ

作家。1978年生まれ。多摩美術大学美術学部二部芸術学科卒業。1997年漫画『女子高生ゴリコ』(扶桑社)でデビュー。雑誌や文芸誌でエッセイや小説を発表するほか、ラジオのレギュラー出演などで活躍。近著に『家族って』(河出書房新社)・『しまおまほのおしえてコドモNOW!』(小学館)などがある。 
https://www.setagaya-ldc.net/relationship/30/