「ふたり 矢部太郎展」矢部太郎さん特別インタビュー
『大家さんと僕』(新潮社、2017年)をはじめ、矢部太郎さんの漫画作品を本とは違う形で楽しめる展覧会「ふたり 矢部太郎展」。その見どころについて矢部さんにお話を聞きました。
取材・執筆:宮崎香菜
写真:吉次史成
展覧会で読む『大家さんと僕』
――展覧会ができあがって、いかがでしょうか? 開幕してすぐに行われたイベントでお客さんとお話する機会もあったようですが。
感動したと言ってくれる方もいましたし、PLAY! MUSEUMの雰囲気と僕の漫画がすごく合ってるとか、いろいろな感想をくださいました。僕自身は自分の漫画の中に入ったみたいな感じがして面白かったです。
――タイトルにもある「ふたり」という展覧会のテーマについてはいかがでしょうか。
短い言葉ですが、的確に僕の漫画を表してくれています。心のどこかに「ふたり」という言葉を置きながら会場を回ることになるので、展覧会の伴奏のようです。漫画も違った見方になると思います。「ふたり」というテーマは広がりがありますね。登場人物同士の関係だけじゃなく、展覧会を見てくださる方と僕の関係とも言えます。
――会場で矢部さんが特に気に入っているところはどこでしょうか?
『大家さんと僕』のコーナーで、物語が道のようになってつながっているところです。お客さんが順番に歩きながら、漫画を読んでいきます。
――大きな展示空間の壁に沿って漫画のコマが並んでいます。
ひとりで読む漫画とまた違って、皆で見るのがいいですよね。ひとりなら好きに休憩もできるけど、前後に人がいると読みきらないといけない。ちょっと不自由なところが、かえって集中力が高まります。映画館や劇場にいる感覚と近いかもしれません。
展覧会が完成してから、以前行った「楳図かずお大美術展」(2022年)で新作漫画として101点、連作の絵画が展示されていてすごくよかったのを思い出しました。皆が並んで読む形だったんです。今回の展示も似たところがあって嬉しかったですね。
――漫画の単行本には複数のお話が収録されていますが、展覧会ではそれぞれがつながってひとつのストーリーとして読むことができます。いくらかコマを抜いてつないでいるそうですね。
基本的に並べ方は、展覧会の担当の方に決めてもらいました。2冊の漫画をひとつのストーリーにするので、重なっているエピソードや説明をどうやってうまく省くのかということが気になって、そのあたりを中心に確認しました。
僕の漫画はデジタルで描いているので原画がありません。漫画の展覧会は原画がないと成立しない気がしていて、実は展覧会の依頼があったとき本当にできるのかなと思っていました。でも、いまは「できます」ということを、具体的にすごくいい形で見せてもらった気がします。
――『大家さんと僕』はシリーズ累計120万部も売れて、展覧会のお客さんもすでに漫画を読んでいらっしゃる方が多いと思うのですが、それでも会場では皆さんもう一度ゆっくり読んでいました。
漫画って本棚にはあるけど何度も読み返すことって、実はそんなにないですよね。今回の展覧会が改めて漫画を読む機会になったとしたら、描いた人としては嬉しいです。
描く人、演じる人である『ぼくのお父さん』
――会場入ってすぐのところには「たろうしんぶん」をはじめ幼少期の制作物がたくさん展示してありました。それらを大事に取っておいてくれたのは、矢部さんのお父さんで、絵本・紙芝居作家のやべみつのりさんだそうですね。展覧会について何かおっしゃっていましたか?
恥ずかしいから自分からはまだ聞いてないんです。でも、見に来てくれたときはニコニコして嬉しそうでしたね。併設のPLAY! PARKに遊びにきていた子どもたちと宇宙船をつくるイベントをやったときも、僕に「懐かしいね」って言ってきて、すごく楽しんでいました。
――会場では、漫画『ぼくのお父さん』(新潮社、2021年)の展示や漫画を描くきっかけにもなった、お父さんが描いていた「家族え日記」や「たろうノート」、さらにお父さん自身がこれまで発表された絵本や紙芝居も展示されました。
お父さんは紙芝居の楽しさを知ってほしいと考えているので、特に紙芝居の展示ができて喜んでもらえたと思います。僕も小さい頃お父さんに紙芝居を読んでもらったり、一緒につくったりしました。親孝行できたかもしれないですね。
――会場では、矢部さんも『大家さんと僕』のエピソードを紙芝居にして、自ら演じた映像を上映しています。矢部さんはお笑い芸人や俳優として活躍されていますが、お父さんが紙芝居を読んでくれたことは矢部さんのお仕事に影響がありますか?
そうですね。お父さんは描く人だけど、演じる人でもあります。紙芝居は作品とパフォーマンスの両面があるので、芸人の自分にも影響していると思います。後付けになってしまいますが。
――『ぼくのお父さん』では、幼少期の親子の関係を描いていますが、大人になったいま同じ作家としてお父さんについて思うことはありますか?
僕なんかよりもずっと純粋に作家ですね。作品にすごくこだわりがあって、自分の中でのOKというラインが高い。だって、お父さんは「たろう」という少年を主人公にした絵本を描きたいから、僕の名前を「たろう」としたそうなんです。でも僕が出てくる絵本は1冊もまだ描いてなくて。
『ぼくのお父さん』を描いた後、出版社からお父さんに僕の子供時代の絵本を描いてもらえないかという依頼があったんです。でも、すぐには出せなくて、お父さんはいまだに考え続けている。僕だったらいま描けば売れるみたいな邪念が働いてしまいそうですが、お父さんは全然。部屋に行くと、絵本のダミーがたくさんあるんですよ。『たろうのサーカス』とか、『たろうが空を見ている』とかタイトルも付いていて。これでいいじゃんと僕は思うのですが、何か違うのでしょうね。
会期中も増えていくアクリル画
――今回の見どころのひとつとして、アクリル絵の具で描いた描き下ろしの絵、約100点の展示があります。
いまちょっと「約」というところを、笑いながら言いませんでしたか?(笑) 「約100点」の展示としながら、展覧会が始まったいまも100点に向けて描き続けていることが、ちょっとギャグみたいになってしまってるのですが、真剣に描いています! いま絵を描くのがすごく楽しいんです。夜に描くとアドレナリンが出ちゃって眠れなくなるから、やめたくらい。絵は朝に描くようになりました。
――漫画でも印象に残るコマがたくさんありますが、アクリル画と漫画の違いはなんでしょうか。
アクリル画では一枚の絵で広がる世界を表現してみたいですね。漫画は描かなくても、前後のストーリーで考えてもらうことができて、たとえ登場人物が無表情でも読者に汲み取ってもらって、そこに意味が生まれます。でも、漫画で伝わったとしても、一枚の絵では伝わりきらないかなとか、いろいろ考えるのが面白いです。漫画を描くなかでいちばん好きなのも、構図を考えることなので近いところもありますね。
――漫画『大家さんと僕』では大家さんから聞いた幼少期の思い出を描いたお話が繰り返し出てきます。大家さんが蛍の思い出を話してくれる名場面は、アクリル画でも描かれていましたね。
それはいちばん最初に描いた絵でずっと描いてみたかったんです。なんせ「約100枚」あるから、いろいろ試しています。大家さんと僕の思い出アルバムのような絵もあれば、ちょっとそこから広げてひとコマの漫画が続いて10枚くらいでストーリーのあるものも。
――アクリル画には、大家さんと『ぼくのお父さん』のたろうくんが一緒にいる絵もありましたね。それから、大家さんから繰り返し聞いた戦争体験を描いたものもありました。
小さい頃の大家さんをアクリル画で描きたいなと思ったことから始まって、『ぼくのお父さん』のたろうも同じ歳くらいだから、絵の中でふたりで楽しく遊ばせてみたんです。で、その続きをいろいろ描いてみるうちに、戦争が始まってしまったという絵です。
――どのアクリル画も色やタッチがとても柔らかで、漫画の雰囲気にもあっていますよね。描く前に下絵のようなものは描くのでしょうか。
そういうときもあります。比較的小さなサイズで展示しているものは漫画とほぼ同じ描き方で、デジタルでラフ描いて、それをトレースしています。でも、もっと大きなサイズのものはそのままアクリル絵の具で描き始めています。それから、作品はすべて、自分で和紙を張ったパネルに描きました。自分の絵の雰囲気に合っている気がするんです。
そういえば、最初はアクリル画はすべて小さなサイズで展示しようとしていて、大きいものはトリミングする予定だったんです。でも、小さいものを見ると、トレースしてるから構図がガチガチに決まって失敗しようがないような描き方をしていた。それで、偶然の要素が入っている大きめの絵も入れたことで、コントロールしきれていなくて僕だけじゃ描けなかったというか、自分の実力以上の絵も見せられたと思います。
――今回、展覧会図録のために描き下ろされた漫画作品「昼寝姫」も発表されました。昼寝姫とは誰なのでしょう。ストーリーや登場人物の背景をはっきり描かない作品は、矢部さんの作品の中では珍しいですか?
そうですね。「昼寝姫」はちょうど描いたとき疲れてたのかもしれません(笑)。ちょっと休みたい気持ちを漫画にしたんですね。でも、傑作だと自分では思っています。昼寝をいつもしてて、夜眠れないお姫様のお話です。僕も結構夜型で。
――昼寝姫は矢部さん自身なのですか?
それもあるかもしれないけど、いま住んでいる家が1階で、庭に遊びに来る猫ちゃんが縁側でいつもお昼寝してるのを見ていいなと思っていたことが関係していますね。漫画に俳句をつけているのですが、昼寝姫が詠んだ俳句ではなくて、昼寝姫を見ている人の視点で詠んだものです。
――これから展覧会に来るお客さんに注目してほしいところありますか?
『大家さんと僕』のアニメーションも上映しているんです。そのBGMがすごい素敵なんでそれを聞いてほしいなと思いますね。えっと、有名なチェリストの方で、なんという人でしたっけ……。
――矢部太郎さんですね(笑)。
はい(笑)。最終話を映像化したアニメーションのBGMを皆で考えているときにちょうど、チェロを習い始めたばかりの僕の演奏はどうかという話になって。まだ1年くらいなので、初心者の教本から曲を探しました。本当は楽しい曲なんだけど、すごくゆっくり弾いてみたら明るすぎず、でも悲しすぎない感じで、それがなんかいいんですよ。自分で言うのは、ちょっと恥ずかしいんですけども……。
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