「どうぶつかいぎ展」インタビュー ドイツ文学研究者 西尾宇広さん ①

現代版「どうぶつかいぎ」と 絵本『動物会議』、その違いとは?

PLAY! MUSEUMで開催中の「どうぶつかいぎ展」(2022年2月5日−4月10日)は、ドイツの詩人・作家、エーリヒ・ケストナーの絵本『動物会議』がテーマです。ドイツ文学の研究者である西尾宇広さんに、展覧会のこと、ケストナーのこと、たくさん聞きました。

取材・執筆:永岡 綾

現代版「どうぶつかいぎ」と 絵本『動物会議』

— 今まさに見終わったばかりの「どうぶつかいぎ展」、いかがでしたか?

西尾 素朴な感想ですが、すごくおもしろかったです。
8人の作家さんそれぞれに味わいがあったので総括するのは難しいですが、ケストナーの書いた『動物会議』を今あらためて解釈するというコンセプトが、会場を進めば進むほど色濃く感じられました。

西尾宇広さん

— 現代版「どうぶつかいぎ」と、絵本『動物会議』。最大の違いは何でしょう?

西尾 時代が違えば、問題意識も違ってきます。ケストナーの時代の問題というのは、「人間が人間の世界の中で解決しなければならないもの」だったと思います。
物語では、戦争をやめない人間たちに対して動物たちが平和を迫りますが、それは動物たちの理屈を尊重するものではなく、より「人間的」な解決策を提示したのが動物だった、ということなわけで。

ところが、現代に生きるわれわれは、環境問題しかり動物保護の問題しかり、人間以外の存在に対してどう配慮していくかという問題を数多く抱えています。
現代版「どうぶつかいぎ」では、例えばヨシタケシンスケさんの作品に「今後、ウイルス会議や気候会議が開かれるかもしれない」とあるように、作家さんたちが自ずとこの部分をフォローしているように見えました。
どの作品も大なり小なり、「人間の外部にある存在」として動物を描いているように思いました。

人間と人間ではないもの、その境界が揺らぐ体験

— 秦直也さんの作品(第2幕「動物ビルで会議があるぞ!」)のところで、いっぱい写真を撮られたのだとか。

西尾 壁にずらりと並んだ作品、一つひとつから感じるものが違っていました。
動物たちが手紙や電話といった人間と同じ連絡手段を使うとこうなってしまう……という様子が描かれているんですが、それらがすべて、生きることの過酷さというか、命の「傷つきやすさ」の表現になっているんですよね。

食うものと食われるものという捕食の関係にある動物同士が、ただ手紙を渡すというシンプルなコミュニケーションをしている。でも、それがいちいち命懸けだったりして。
コミカルなんだけれど、その裏に残酷さがにじんでいるのが興味深かったです。

「無題」秦直也/2021年 

— 扉をくぐった空間、第5幕から第6幕は、とりわけじっくりご覧になっていました。

西尾 菱川勢一さんの作品(第5幕「子どもたちのために!」)は、解釈の余地がたくさんあると思いました。あえて明確な形を与えずに、毛の塊や毛皮を張っただけの額縁などで動物を再現しています。動物の世界はわれわれが思うほどきれいに区分されていない、ということなんじゃないでしょうか。

また、動物の声がいろいろ聞こえるのだけれども、重なり合っていてどれがどれだかわからない。しかし、それは人間には理解できないだけで、動物たちにとってはちゃんと秩序があり、意味のあるものかもしれない。

トランペットが並べて置かれていたのも印象的でした。人間には単なるざわめきにしか聞こえない鳴き声が、動物にとっては美しく整然とした音楽のような響きなのかもしれない。あるいは、「会議」の開始を告げるファンファーレのようなものかもしれない。
「人間の外部にある存在」としての野生の深みを強く感じた作品でした。

「いざ、動物会議」菱川勢一/2022年
「いざ、動物会議」菱川勢一/2022年

西尾 鴻池朋子さんの作品(第6幕「連中もなかなかやるもんだ」)は、壁に投影された「影絵灯篭」が古代の壁画を彷彿とさせました。動物を擬人化しているようで、でもそれは今のわれわれとも違う存在として描かれています。
また、天井からぶら下がる「皮絵」には、動物たちから見つめられているという恐怖を感じました。この恐怖には、いろいろな不安が重なっていたように思います。

まず、動物たちが描かれている素材自体が、動物の皮、つまり野生のものなので、そこには明らかに「人間の外部の存在」がある。
でも、その動物たちはあるがままの自然の姿をしているわけでもありません。動物たちはいずれも人工的にデフォルメされていて、人間が人間の外の世界を表現するには、やっぱり人間なりの方法でやるしかないのだとも思わされます。
けれどもそれは同時に、人間がやることの中には人間に回収しきれない外部のものが潜在的に含まれている、ということでもあって……。人間と人間ではないもの、その境界が揺らぐような感覚を覚えました。

「灯籠影絵」鴻池朋子/ 2020 年

— 絵本『動物会議』をよく知る西尾さんから見て、「これは予想外だった!」という再解釈がされていた作品はありましたか?

西尾 junaidaさんの作品(第7幕「人類がふるえあがった日」)は、刺さるものがありました。動物にさらわれた子どもたちが実は楽しく過ごしていた、というシーンです。
ケストナーは、それをとてもいい時間として描いていて、子どもたちは「動物たちと父さん母さんのいざこざが、ずっとつづくといいな!」と考えたりしています。

junaidaさんの作品でも、子どもたちはそれなりに楽しそうに見えます。でも、それが図案は同じままポスターとして複製されて、色調を変えて展開されたとき、ものすごく違和感のあるものに変わる。
それを眺めていると、ああいう一定の枠の中で成立している楽園というのは、狂気の世界、あるいは残酷な世界と紙一重でもあるのだと気づかされます。

「人間と動物」— 二つの矛盾する関係

— この展覧会の準備中、8人の作家さんと話していてつくづく感じたのは、『動物会議』という作品の懐の深さでした。
平和を勝ちとる英雄譚である一方、大きな力に大きな力をぶつけて「うん」といわせる話でもある。民主主義への問いかけでもあり、人間の愚かさを噛みしめる物語でもある。
今回の「どうぶつかいぎ展」は、こうした多面的な解釈をはらむ『動物会議』という作品の強度の上に成り立っているな、と。

西尾 その強度を支えているのは、おそらく「人間と動物」の両義的な関係に尽きるのだろうと思います。これは、寄稿文「人間らしい動物たちのリアリティ」に書いたこととも重なります。
物語の終盤、動物たちが人間に突きつける平和のための条約は、筋が通っている反面、すごく難しいことのようにも感じますよね。こうした一見ぶっ飛んだ話にリアリティを持たせるために、この物語には二つの矛盾する要素が織り込まれているのです。

一つは、動物からでてきた考えだからこそ受け入れられる、という側面。実現できるかどうかはさて置き、これが理想だという方向性を人間ではない存在に語らせることで、読み手がそれをすんなりと理解できるよう、うまく機能させている側面があると思います。

もう一つは、よくよく読むと動物たちは非常に人間らしい存在としても描かれていて、彼らは動物そのものというより、人間の中の一部の人たちを代弁しているようにも読める、ということ。でも、この物語を単に人間と人間の話し合いとして描いてしまったら、あの条約は突拍子もないものに見えてしまうでしょう。
動物に代弁させることで、かえってリアリティが保たれていると思うのです。人間ではない存在としての動物と、人間的な存在でもある動物。この両義性が解釈の幅を広げているのではないでしょうか。

そのうえで、動物たちのしたことは本当に正しかったのか、力に力をぶつけているだけではないか、という疑問を感じる人もいるかもしれません。そうした違和感を抱く気持ちは、とてもよく理解できます。この絵本は、要するに「会議は無駄だ」といっているのですから。

ところが、民主主義の社会においては、たとえ結論がでなかったとしても、ひたすら話し合うことがとても大切です。不毛に思えたとしても、話し合うこと自体を否定するのは非常に危険な行為であって、それこそケストナーが最も批判していたはずのファシズムや全体主義に近いものにすら見えてきてしまう。
でも、ここで少しケストナーの肩をもってもいいでしょうか?(笑)

— ぜひぜひ、ケストナーおじさんに加勢してください。

西尾 ここで動物たちが半ば力づくで決めようとしているのは、「戦争をしない」ということです。つまり、争いをやめて、平和をつづけようとしているのです。

そもそも平和でなければ民主主義的な状況を確保することもできません。せめて戦争をしないことだけでも合意しておかなければ、話し合うことすら不可能になってしまいます。
そう考えると、ケストナーには、「話し合いで解決する」という方法自体を否定するつもりはまったくなかっただろうと思うのです。話し合うことよりも前にある問題、つまり、民主主義の仕組みを成り立たせるための大前提の部分について、動物たちは解決を迫っているのではないでしょうか。

②「ケストナーの笑い — ユーモアが人を謙虚にする」につづきます!

西尾宇広(にしお・たかひろ)さん

1985年、愛知県生まれ。慶應義塾大学准教授。専門は近代ドイツ文学。卒業論文でケストナーに取り組んで以降、「公共圏」というキーワードのもと、文学が社会のなかで果たす役割について歴史的な視野で考えている。主な仕事に、『ハインリッヒ・フォン・クライスト――「政治的なるもの」をめぐる文学』(共著、インスクリプト、2020年)など。

永岡 綾(ながおか・あや)

編集者・製本家。「どうぶつかいぎ展」企画メンバーの一人。編書に『アーノルド・ローベルの全仕事』『かえるの哲学』『ちいさなぬくもり 66のおはなし』『柚木沙弥郎 Tomorrow』(ブルーシープ)など。著書に『本をつくる』(河出書房新社)、『週末でつくる紙文具』(グラフィック社)など。

TOPICS

2022年3月25日(金)18:00-19:30(17:00開場)/「どうぶつかいぎ展」関連イベント
2022年2月5日(土)ー4月10日(日)*休館日:2月27日(日)
企画展示「どうぶつかいぎ展」
企画展示「どうぶつかいぎ展」