PLAY! MUSEUMで開催中の「どうぶつかいぎ展」(2022年2月5日−4月10日)は、ドイツの詩人・作家、エーリヒ・ケストナーの絵本『動物会議』がテーマです。ドイツ文学の研究者である西尾宇広さんに、展覧会のこと、ケストナーのこと、たくさん聞きました。
「①現代版「どうぶつかいぎ」と 絵本『動物会議』、その違いとは?」はこちら
「②ケストナーの笑い — ユーモアが人を謙虚にする」はこちら
取材・執筆:永岡 綾
ケストナーは、英雄じゃない
— ケストナーって、どんな人物だったのでしょう?
子どもたちのために筆を振るった人、ナチス時代を生き抜いた人、正義のためにペンで戦いつづけた人……広く知られるエピソードからは、かなりカッコイイおじさまをイメージしてしまいますが。
西尾 語弊もあるかもしれませんが、ひとことでいうと「だらしのない人」だったんじゃないかな、と思います。
— がーん……。
西尾 さきほどおっしゃったように、正義のためにペンで戦った人ではあるのですが、そうやって戦っている自分を笑う視点を常にもっていた人でもあり、ぜんぶ茶化して煙に巻くようなところもある。
やっぱり、いい意味で不真面目な部分があるんですよね。
ケストナーはもともと新聞社で編集者として働いていて、その後、風刺詩で名を成した人です。だから、実はどぎついものをたくさん書いています。
セクシャルな分野についても自由奔放なことをいろいろと書いていて、当時はスキャンダルにもなったりして。規律を重んじるような人たちからは、不道徳だと批判されていました。
— 大人向けの小説『ファビアン』ですね。でも、あの本、ものすごくおもしろかったです。
西尾 わたしも大好きな作品です。ナチスが政権につく直前の時期に書かれた小説ですが、でも、あの本も断固たる社会批判の小説かといえば、必ずしもそうとはいえない。
むしろ主人公のファビアンは、今の社会や政治に不満を抱えながら、そこにどうやって関わればいいのかわからずに迷い続ける。
いってみれば、社会の「傍観者」であることの葛藤を描いた小説です。その葛藤の先にナチスの時代が待ち受けていたことを、現代のわたしたちは真剣に受け止めなくてはならないと思います。
また、ナチス時代への向き合い方、という点でいえば、こんな話もあります。
ナチスが政権をとった時代、それを批判する立場で執筆をした人たちがいて、ケストナーもその一人でした。でも、だんだん自由に書くことができなくなり、多くの作家や知識人が亡命します。
そんな中、ケストナーはドイツ国内に留まる道を選びました。
彼自身はその理由について、「どんなときでも目撃者として残り、いつか、文章でその証言をすることができるようにすることこそ、作家としての職業上の義務だと思う」と語ったりもしているのですが、これは本心でもあると同時に、一つの方便でもあったのだろうなと思います。
というのも、戦後、ケストナーはナチス時代のことを舞台にした小説などは結局書かなかったんです。『終戦日記』という形で一冊発表しただけでした。
もちろん、その時代を生きてはいない現代の人間が、そのことを軽々に論じることはできません。当初の見立てが甘かった、ということもあるでしょうし、実際に経験してしまうととても簡単に作品にできるような時代ではなかった、ということなのかもしれません。
ただしそれでも、亡命は亡命でやはり大変な覚悟のいる行為であったことは確かですし、その選択肢をとらずにドイツに残る、というのは現実的な一つの妥協の道でもあったのだろうと思います。
— とはいえ、リスクを背負って亡命することも、ドイツに残って自由を奪われることも、今のわたしたちから見れば、どちらもあまりに理不尽ですね。
西尾 その通りです。ところが、戦後、亡命した人たちと国内に留まった人たちの間で大きな仲違いが起きました。
決死の覚悟で亡命した人たちからすれば、国内に残って表向きはナチスに逆らわなかった人たちを許せない。
逆に国内に留まった人たちからすれば、それぞれに国をでられない事情もあったでしょうし、いつ逮捕されるかわからない生活に12年も耐えてきたわけで、お互いに激しく分裂してしまったのです。
ケストナーが『動物会議』を書いたときは、まさにその分裂の真っ最中でした。どちらも反ナチスなのに、同じ作家なのに、こんな小さなところでなぜ分裂しているんだ!という苛立ちも、あの物語の背景の一つにはあったはずです。
少し話が逸れてしまいましたが、こういうことも含めて、ケストナーが完全無欠の正義の人だったかというと決してそんなことはなく、おそらく後ろめたいこともたくさんあったのだろうと思います。
— わたしたちが思う以上に、人間くさい人だったのですね。
西尾 そうですね。ケストナーには「ナチスと毅然と戦った抵抗作家」というイメージがつきまとい、英雄視されることもありますが、必ずしもそう捉えないほうがおもしろいと思います。
戦後の西ドイツでペンクラブの会長を務め、ドイツ文化の復興においてそれなりに大きな役割を果たし、その作品が今も読み継がれている作家であることは事実です。
ただ、そういったこともすべて含めて、彼自身の中にそれなりにいい加減な部分があったからこそできたこと、といえるような気がします。
とくに戦争が終わった直後の数年などは、過酷なスケジュールの中で大量の仕事をこなしたりもしているので、バイタリティ溢れる人だったことは確かですし、決して自堕落な性格だったわけではありません。それでも、そういう仕事の虫になっている自分を茶化して笑う余裕は常になくさないんですよね。
もちろん、ナチスの時代にも、現代にも、決死の覚悟で社会の課題に取り組んでいる人たちがいて、その人たちのおかげでわたしたちの「生きづらさ」が軽減されている、という側面が必ずあります。
だから、そのことは絶対に忘れてはいけないのですが、同時に、ケストナーのような生き方だからこそ実現できることもある。少なくとも彼の場合、自分を追い詰めすぎずに生き延びる、ということは、したたかに自分の主張を続けていくためにも大切なことだったんだろうと思います。
ケストナーさん、今、何を書きたいですか?
— 絵本『動物会議』は、戦後ドイツで絵本や児童書の普及に尽力したイェラ・レプマンが「ここで一度、動物たちにご登場いただいて、その本能と人間の理性とを対峙させてみてはどうでしょうか」とケストナーに提案したのがはじまりです。
もし今の時代にケストナーが生きていて、レプマンのように執筆を提案できるとしたら、西尾さんはどうしますか?
西尾 それは考えるのが楽しい企画ですね。実際、昔の作家の作品を読むときに、よく考えることでもあるんです。
ある時代の作家が、100年後にも同じことを書くかといったら、たぶんそうではないだろうと思うんですよね。一つの時代と向き合った作家は、生きる時代が変わればきっと別の問題を見つけるでしょうし、同じ問題を扱うにしても違った書き方をするかもしれない。
だからケストナーにも、「こういうものを書いてください」というよりは、むしろ「今、何を書きたいですか?」と聞いてみたいですね。人間と動物についての考え方だとか、子どもについての考え方だとか、あるいはケストナー自身は保守的なところがあるジェンダーについての考え方だとか、社会の価値観が当時と今とでは大きく変わってきています。
そういったことを踏まえてケストナーなら今、何を書くか。すごく関心があります。
例えば、今の日本の政治を見ていると、言葉の意味がとても軽くなっていると感じます。
嘘をついても謝れば許される、それどころか、のらりくらりとはぐらかしていればそのうち忘れてもらえる、みたいな意識が透けて見えてくるようで、本当に危機的な状況です。
ケストナーが『動物会議』を書いた時代の問題は、「会議ばっかりしているのに、なんでこんな簡単なことも決められないんだ?」ということでしたが、今ならむしろ「なんでまともに会議の一つもできないんだ?」ということになるんじゃないでしょうか。会議を否定するのではなく、どうしたらちゃんとした会議をできるのか、という話になるかもしれませんね。
— それ、読みたいです! 挿絵はもちろんトリアーですね。
西尾 はい、わたしもぜひ読んでみたいです。
はじめから読む
「どうぶつかいぎ展」インタビュー ドイツ文学研究者 西尾宇広さん ①
現代版「どうぶつかいぎ」と 絵本『動物会議』、その違いとは?
「どうぶつかいぎ展」インタビュー ドイツ文学研究者 西尾宇広さん ②
ケストナーの笑い — ユーモアが人を謙虚にする
西尾宇広(にしお・たかひろ)さん
1985年、愛知県生まれ。慶應義塾大学准教授。専門は近代ドイツ文学。卒業論文でケストナーに取り組んで以降、「公共圏」というキーワードのもと、文学が社会のなかで果たす役割について歴史的な視野で考えている。主な仕事に、『ハインリッヒ・フォン・クライスト――「政治的なるもの」をめぐる文学』(共著、インスクリプト、2020年)など。
永岡 綾(ながおか・あや)
編集者・製本家。「どうぶつかいぎ展」企画メンバーの一人。編書に『アーノルド・ローベルの全仕事』『かえるの哲学』『ちいさなぬくもり 66のおはなし』『柚木沙弥郎 Tomorrow』(ブルーシープ)など。著書に『本をつくる』(河出書房新社)、『週末でつくる紙文具』(グラフィック社)など。