PLAY! インタビュー 「しあわせの編集者」①フリー編集者・土井章史さん
こんにちは、らびです。
「みみをすますように 酒井駒子」展に合わせ、酒井駒子さんの絵本を担当した編集者を訪ね歩いてインタビューする「しあわせの編集者」を始めます。
第1回は、酒井さんの絵本デビューを後押ししたフリーの絵本編集者の土井章史さんです。
取材・執筆:らび
1998年に出版された『リコちゃんのおうち』(偕成社)の奥付には、編集担当として「トムズボックス」と記されています。土井さんの編集プロダクションで、この絵本は土井さんが編集したのです。土井さんは東京・吉祥寺で長く絵本店を開いていました。お店の名前も「トムズボックス」。今は都内・西荻窪に移転しています。そのお店を訪ねました。
絵のうまい人だなぁ
まず土井さん、酒井さんとの出会いを教えてください。
「あれはもう25年ぐらい前かなあ。彼女は『あとさき塾』の塾生だったのですよ」
「あとさき塾」というのは、絵本編集者の小野明さんとふたりでほぼ30年間続けている新人絵本作家の養成講座です。
「『えらく絵のうまい人だなぁ』というのが酒井駒子の第一印象でしたね」
土井さんは作家としての敬意をこめて「酒井駒子」とフルネームで呼んでいます。
「絵本のラフ(下がき)をつくってもらったら、できてきたのが『リコちゃんのおうち』でした。子ども向けのエンターテインメントとして完成されていて、すばらしかった。これは絵本として出版できるぞと思いました」
リコちゃんとお兄ちゃんのけんかから始まって、最後にはお兄ちゃんがリコちゃんに歩み寄ってくるまでのお話です。酒井さんとふたりで出版社を回り、首尾よく出版にこぎつけました。
「持ち込んだけれども、断られたところもあってね。『お話は面白いけれども、絵がもうひとつ』と言われましたよ」
また、すごいのができた
えっ!
酒井さんの絵に注文がついて出版を断られたのですか。デビュー前の信じられないエピソードですね。
「うん、そんなこんなあったけれども、次にまたすごいのができた」
そう。出世作の『よるくま』(偕成社)です。1999年に出版されました。
この作品が世に出たいきさつは別の編集者から聞いています。次回に改めて紹介しますね。
土井さんはラフを見たときの驚きをこう振り返っています。
「母親と子どものお話が、男のぼくにも伝わってきた。これはいいな。すごいのができたなと思った」
正直に言うと、お話としては『リコちゃんのおうち』の方が鮮やかだと土井さんは感じたのだそうです。でも、それを補って余りある何かを感じました。
出版社に持ち込むと、話はとんとんと進みました。土井さんによる編集作業が済んで校正刷りが出てきて、あとは酒井さんのOKを待つばかり。そんな最終局面で、土井さんは酒井さんからびっくりするようなお願いをされました。
「絵を一枚、よるくまが登場する場面の絵を、どうしても描きなおしたいというのです。いまでこそ酒井駒子といえば大御所だけれども、その当時は新人でしょ。色校正まで作業は進んでいたので、いまさら絵を取り換えるとなると、印刷所も出版社も嫌な顔するだろうな。困ったな。そう思ったのですが、受け入れることにしました」
絵はどんな風に変わったのですか?
「それが、ぼくが見ても違いはわからなかった。ただし、自分に厳しい人だということはよくわかりました」
『リコちゃんのおうち』に比べると『よるくま』の絵のタッチはやや暗くなり、どこかせつない雰囲気を醸し出しています。
今日の酒井さんの作風につながる大きな転換点になる絵本だったと土井さんは指摘します。
かたちで気持ちを伝える
土井さんはその後も、『ぼく おかあさんのこと…』(文溪堂、2000年)のほか『赤い蝋燭と人魚』(偕成社、2002年)や『ゆきがやんだら』(学研プラス、2005年)といった酒井さんの代表作の編集に携わりました。
「やっぱり『ぼく おかあさんのこと…』かな、思い出深いのは」
うさぎの男の子が黄色い幼稚園の帽子をかぶってお母さんの足元にうずくまっている姿、つまりかたちを最初に見た時には、男の子のせつない気持ちが伝わってきたのだとか。
「絵のかたちだけで、子どもの心情を余すところなく表現しています。こんな絵を見せられたら、子どもを持つお母さんは心をぎゅっとつかまれるでしょうね」
『よるくま』から『ぼく おかあさんのこと…』という流れのなかで、酒井さんは子どもだけでなく大人の心にも訴えかける絵本作家になった、と土井さんは言います。絵の魅力に欠けるとして、最初の絵本を断られてから2年余り。それが、絵の力で幅広い年齢層に読まれる絵本のつくり手になったのです。
「酒井駒子はいまや引っ張りだこだからね」
『赤い蝋燭と人魚』を出版するころにはすっかり人気絵本作家となり、酒井さんの思いが絵本としてほぼ実現されるようになっていました。
ところで、ここしばらく土井さんとの絵本づくりは進んでいません。
「ぼくの役目は終わったよ。とうの昔にね」
土井さんはつぶやきながら、酒井さんのこれまでの絵本やイラストを紹介する雑誌をめくるのでした。
「いい線ですね。なんて、せつない絵なのだろう」
土井さんの目は、シンバルを鳴らす小さな虫の絵にくぎ付けになりました。
「酒井駒子が描くと、虫でさえせつなく見えてくる。不思議だよね。ほら、いい一瞬をとらえている」
でも、土井さん、せつない、せつないと言いながら、なんとも幸せそうですね。
「そりゃそうだよ。編集者としてこんな絵本の原画を見せつけられてごらん。『いや』も『おう』もない。即決で出版だね。その場で『いきましょう』と言えない編集者はダメ」
それが言えた土井さんは、間違いなく「しあわせの編集者」なのです。
◆次回は白泉社の月刊MOE編集部の森下訓子さんに『よるくま』を中心にお話を伺います。
らび
自ら「らび」と名乗っている初老のおじさんです。うさぎが好きで「ぼくは、うさぎの仲間」と勘違いしているからです。ディック・ブルーナさんを尊敬しています。著書に『ディック・ブルーナ ミッフィーと歩いた60年』 (文春文庫) 。
おまけ
PLAY! SHOPでは土井さんと酒井さんが作った素敵なピンバッジも取り扱っています。