ビッグバンから、今にいたる「とき」の流れを描いた絵本『とき』(絵・太田大八 福音館書店 1973年)。壮大なテーマを映像にした新井風愉さんに、作品について聞きました。
取材・執筆:天田泉
会場撮影:高橋マナミ
ポートレート撮影:高見知香
― 絵本『とき』の印象は?
新井 まず、読んだことなかったので、新鮮な気持ちで読みはじめたらすごいおもしろいんですよ。谷川さんの絵本は、子どもの頃から読んでいて、展覧会に携わることはプレッシャーでしたが、この絵本を読んだら、映像作品にすることにもっとプレッシャーを感じました(笑)。
新井 『とき』は、子どもに時間の説明をするのが目的で書かれた絵本ですよね。恐竜時代からだんだん時代が下っていくというふうに、客観的に説明していると思って読んでいくと、「わたしが うまれた!」「おととし おばあちゃんが なくなった」と、いつの間にか自分がその時間の中に含まれているというアクロバティックな展開をするんです。「あれっ?」と思いながら読み進めると、「1びょうまえ」となって、「いま」となって、そして終わるっていう構成がすごいですね。
時間の話をするときに、今、ここで流れている時間を無視すると嘘になってしまう。結局、人間って自分の時間しか生きられないから、自分の話になるのが本当なんだと思います。
新井 あのめくるめく体験をする感じも、本当にすばらしい。詩人である谷川俊太郎さんが「時間」を絵本にすると、「自分自身」を通した表現になることで、どんな映画や映像体験よりも「自分自身」の体験になる。VR(バーチャルリアリティ)よりもVRな体験で、そこがすごい!と思いました。
―どんな映像作品にしようと思いましたか?
新井 最初は、もう絵本があれば映像はいらないんじゃないかって(笑)。でも映像にするからには、何かしら映像にする意味を見出さないといけないと思い、自分なりに考えてみました。
絵本をめくると、恐竜の時代があり、縄文時代があり、平安時代があり…と時代がめぐっていきます。これは、時間というものが数直線のような実体ではなくて、「今ここにある現在」が刻一刻と消えて、次の状況が現れ続ける連続的な物理現象そのものだ、ということを表しているように見えました。僕たちはみんな、「時間」という現象に取り囲まれて生きている、と。そこで、「今ある現状」が、物理現象によって分子や原子レベルで分解され、新しい状況がどんどん現れてくる、ということをそのまま表現することにしました。
―それを絵が現れては消えることで、表現されたんですね。
新井 砂みたいな煙みたいなもので絵ができていって、その絵が分解してふわぁーっと砂や煙のようになってどんどん消えていき、再び現れてはまた消える、みたいなことをやっています。止まっているような絵も、実はチリチリと粒が動いているんです。物が止まって見えるときも、原子は微妙に振動していますから。
「谷川俊太郎 絵本★百貨展」『とき』会場写真 「谷川俊太郎 絵本★百貨展」『とき』会場写真
新井 そして、この映像の半分の主役は、音だと思います。「ふわーっふわーっ」と、風のような音が呼吸するように波打っていって、だんだん波だったり、生きものの呼吸だったり、心臓の音といったいろんな音に変化していく。「そこにあるもの」の音ではなく、「物理的な存在が物理現象を演じる時の音」を抽象的に表現することで、「時間そのもの」の音を表現しようとしました。
―太田大八さんの力強い絵もすばらしいですね。
新井 太田大八さんは、スクラッチボードという手法で描いたらしいです。黒いものを削って線画のようなものをつくったうえに、面の色指定をして印刷物としてはじめて成立する世界をつくりあげています。映像のなかで、物理現象を表した砂粒のようなものが、なんとなく印刷のインクの粒みたいにも見える、そんな感じにリンクしてくるといいなと思っています。
つくり手としては、この絵本はひとつの概念をみんなで協働してつくり出そうとする感じが、すごくします。「自分の表現はこうだ」というようなことではなくて、「ある概念」を理解してもらうために一番いいやり方を、みんなが自分の技術を使って表現しようとしている。そんな感じがするのもすばらしいですね。
―ありがとうございました。新井さんの映像作品を見て、『とき』の魅力が広がりました。
新井 風愉(あらい・ふゆ)
映像作家。武蔵野美術大学映像学科卒。広告映像を中心に、展示映像などさまざまな映像を手がける。主な受賞に、文化庁メディア芸術祭新人賞、アヌシー国際アニメーション映画祭広告部門クリスタル賞など。