「クマのプーさん」展に寄せて、さまざまな分野で活躍するクリエイターの皆さんにインタビューするシリーズ。第五弾は、アートディレクターのナガクラトモヒコさんに「クマのプーさん」と、30年以上愛され続けている西武・そごうのオリジナルキャラクター「おかいものクマ」について聞きました!
取材・執筆:いまむられいこ
コーディネート:金子さえ
クリストファー・ロビンを引きずるプーさん
――今日は、西武・そごうのオリジナルキャラクター「おかいものクマ」を30年にわたって手がけるアートディレクターのナガクラトモヒコさんに、“クマつながり”でお話を伺いたいと思っています。
ナガクラ プーさんといえば、僕、30年くらい前に、こういう絵を作ったことがあるんですよ。
――『クマのプーさん プー横丁にたった家』の冒頭、プーさんとクリストファー・ロビンの登場シーンですね。(そうら、クマくんが、二階からおりてきますよ。バタン・バタン・バタン・バタン、頭をはしご段にぶつけながら、クリストファー・ロビンのあとについてね。)
ナガクラ そうなんだけど、なんか、ヘンじゃありません?
――どこかヘンですかね・・・あっ!
ナガクラ 気づいた?(笑)
――プーさんとクリストファー・ロビンが逆になってます!
ナガクラ あたり。誰も気づかないんですよ(笑)。これ、クラブキングの主宰者で80年代のクラブカルチャーを牽引した桑原茂一さんが創刊したフリーペーパー『freepaper dictionary』があるんですけど、編集者から「何か描いて」と頼まれて、この絵を寄稿したんです。皆に「ひどいなあ」って思ってほしかったんだけど、編集者すら気づかなくて。
――かなり大胆に入れ替わっているのに、どうして気づかないんでしょう。
ナガクラ ふたりのサイズ感だと思うんですよね。クリストファー・ロビンがいつものサイズだったら、ただ恐ろしいだけの絵になっちゃう。でも、いつもプーさんはこうやって、この角度で、ひどい降ろされ方をするんでしょう。そういう話だから仕方がないけど、だから、これは仕返しなんです(笑)。
――どうして、この絵を描いたんですか。
ナガクラ 30年も前のことだからあまり覚えていないんだけど、テーマは特になくて、今、自分が気になっていることとか、おもしろいこと、何でも表現してよかったんです。だから「違う階段の降り方」というタイトルで。描いたというよりコラージュしたんですけどね。
――この頃からプーさんが好きだったんですか。
ナガクラ 好きでしたね。
――最初に『クマのプーさん プー横丁にたった家』を読んだのはいつですか。
ナガクラ 子どもの時、ではなかったと思います。高校生くらいかな。雑誌も音楽も尖ったのを選ぶし、いきがってショーペンハウアーやアンドレ・ジッド、アメリカのヒッピー詩人リチャード・ブローティガンを読んでたのが、なぜ、プーさんの本を手にとったのか。おそらく絵が好きだったんだと思いますね。細いペンで描かれたエッチングみたいな筆致の絵が好きだったので。
本文については、正直いうとちょっと苦手な感じで、そこまでのめり込んで読んだわけではないけれど、なんだか不思議で、ちょっとヘンな感じが好きでした。
――どのキャラクターが好きでしたか。
ナガクラ やっぱりプーさんかな、後ろ姿がかっこいい。それかクリストファー・ロビン。でもたぶん、ふたりの関係性が好きなんだと思います。だから、このフリーペーパーの時も、プーさんとクリストファー・ロビンの関係性を逆転させてみたい、という発想になったのかもしれません。
実は関西ノリの「おかいものクマ」さん
――この絵を作った1994年といえば、「おかいものクマ」が生まれた頃(1993年)と同時期ですね。このキャラクターが生まれた経緯について教えてください。
ナガクラ それまで西武百貨店は「日本一の市」という名前のバーゲンをやっていて。売り場面積が日本一だったんだけど、東武百貨店が拡張したことでその座を譲ってしまったので、名前を変えないといけなくなったんです。
それで「夏市、冬市」に名前が変わり、広告の企画もコンペで決めることになりました。僕らはキャラクターを作るのが一番わかりやすいと思って。「キャラクターといえばクマだよね」ということで提案したら、これに決まったんですよ。
――なぜ、猫でも犬でもなく、クマだったのでしょう。
ナガクラ なぜだろう。僕、シロクマが好きなんです。フランソワ・ポンポンの彫刻やシュタイフのテディベアが好きで、アラビアのクマの置き物もけっこう集めていました。自然にクマになりましたね。プーさんも好きだったから、無意識に意識していたのかもしれませんが。
――1993年夏市におかいものクマがデビューし、まもなく30周年です。
ナガクラ さまざまな展開ができそうだし、百貨店のキャラクターとして認知されているので便利じゃないですか。そこで「ほかの催事にも使いたい」という要望がたくさんきたんですけど、「これはあくまでバーゲンのキャラクターだから、ほかの催事に出ると意味合いが薄まるのでダメです」と言って、最初の10年くらいは年2回のバーゲンの時だけ現れるようにしました。
――30年のあいだに、たくさんのグッズが生まれました。
ナガクラ それなりに集客ができて、ノベルティを配布すると効果もあったので、本当にいろいろなものを作りました。商品部の人が「このメーカーとこういうのを作りたい」ってアイデアをまとめてくるんです。ビーチサンダルを作ったり、エコバッグとか、お弁当箱とか、何百種類も。限定で1体1万5000円のぬいぐるみを作り、それは20年以上も続きました。(参考:https://sun-ad.co.jp/works/sogoseibu/goods)
――2000年以降は、3DCGのおかいものクマが踊るCMが長く続きました。音楽と共に強烈なインパクトがありました。
ナガクラ その時々のおもしろい技術を取り入れて、スタッフと「これもできる、あれもできる」ってアイデアを出しながら、色々チャレンジしました。ただ、自分で描くのはできるんだけど、CGだと理想の形になかなかならなくて苦労しています。今もまだ、理想にはたどり着いていません。
――今年の夏市は、さまぁ〜ず三村マサカズさんが描いたイラストのシャツを着た「さまぁ〜お見舞いもうしあげます。」。毎回、ちょっとゆるいというか、ちょっと笑わせてくれるんですよね。
ナガクラ 一緒にやっていたコピーライターの岩崎俊一さんが関西の人だったので、実は関西のノリなんですよ。マンボを踊りながら「ナンボ!」とか、コサックダンスで「バーゲンスキー」とかダジャレも満載で、みんなで楽しんで作っていました。
――ここまで続いて、愛される理由。クマのキャラクターって、人っぽく見えたり、何にでもなれる自由度がある、ということなんでしょうか。
ナガクラ そうかもしれません。プーさんと同じで、なんだか不思議で、ちょっとヘンな感じが魅力なんでしょうね。
――ありがとうございました。
ナガクラトモヒコ
1956年、東京生まれ。ストロベリーフィールズ、仲畑広告制作所を経て、1984年株式会社サン・アド入社。同社エグゼクティブ クリエイティブ ディレクター。日本グラフィックデザイナー協会新人賞、毎日デザイン賞、朝日広告賞、造本装幀コンクール、全国カレンダー展など多数受賞。
おかいものクマ
出身地「北極」、好物「おつり」、口ぐせ「自分へのご褒美」、好きな言葉は「割引」「現品限り」「お似合いですよ」