この展覧会のためにつくった新作の『すきのあいうえお』は、谷川さんが五十音順に記した、すきなものを、田附勝さんが日本各地を旅しながら撮影し、映像作品になりました。田附さんに、写真と谷川さんについて聞きました。
取材・執筆:天田泉
会場撮影:高橋マナミ
ポートレート撮影:高見知香
―谷川さんの「すき」を写真に撮っていったんですね。
田附 まず、谷川さんから「あ」は「あられ」、「い」は「いるか」といった「あいうえお」のすきなことばをもらいました。それから林綾野さん(本展キュレーター)と草刈(PLAY! プロデューサー)と3人で3ヶ月くらい日本各地を旅して、写真は自分が撮ったけれど、みんなでつくった作品だと思います。
PLAY! で展示するわけだから「たのしく」とか「かわいい」ことが大事なんじゃないかということを話しながら、写真を撮りました。ただ、自分も写真家としてやっているから、僕なりに世の中やここに観にきた人たちに、考えてもらうチャンスでもあるんじゃないかと思ったときに、「そら」や「むかし」「れきし」という言葉は、自分のなかで撮りたいと思いました。
田附 「むかし」は、言葉の重鎮でもあり人としても重鎮である、谷川さんに出てもらうことが必要だと思ったんです。いろんな時代を越えてきた谷川さんだから、幼い頃の自分の写真を持って「むかし」と言える。「むかし」は、遠い時代を指すことばでもあるけれど、近い時間から見ていくと、年老いていくということだって「いまとむかし」であるから、そういうことも考えていきたいですね。
―「そら」や「れきし」には、どんな思いを込めたのですか?
田附 たとえば「たのしい」という言葉も、何かと同時にあるわけです。「つらい」ことがあるから、「たのしい」と思うもので、言葉には両極があるんじゃないかって。空もそうじゃない? 気持ちのいい青空があったら、ウクライナのほうでは、つらい空があるわけです。そういうことも考えてほしいと思って、広島の空を撮りました。
「れきし」も同じで、東大和市に第二次世界大戦で爆撃にあった変電所があって、壁に銃撃の痕が残っているんです。大きな事件やできごとを歴史と呼ぶと思うけれど、小さいとされるような事件や出来事も「れきし」だと思うんです。
『すきのあいうえお』より 「そら」 『すきのあいうえお』より 「れきし」
小さな見過ごされているものに興味をもって、それを紐解いていくことが、僕のライフワークでもあるんだけれど、今回、参考になったのが谷川さんの「いきる」という詩です。傷ついた兵士が出てきたり、谷川さんもいろんなことを描きながら「いきる」を書いた。この詩を読み直して、谷川俊太郎っていう存在を改めて考えました。
―谷川さんの印象は、ほかにも何かありますか?
田附 91歳になっている谷川さんと49歳のぼくでは、越えてきた言葉や積んできた言葉が違うというか、しかも戦争を経験してきた人と経験していないぼくらって、同じ言葉でも、そこから見える景色とかは違うかもしれない。そういうことも問い直さなければダメだなというふうに思いました。
今回、谷川さんを撮影するときに朗読の収録もあったので、読んでいる姿を間近にしました。そして、文字そのものじゃないんだ、伝わる音があってそこまでが彼の言葉なんだ、と感じました。
それで「とんねる」の写真はすでに撮っていたのだけれど、彼の声で「とんねる」と言ったらもっとおもしろいものでもいいんじゃないかと思って。近所に、そんなとんねるがあったのを思い出して、撮り直したんです。
『すきのあいうえお』より 「とんねる」 「谷川俊太郎 絵本★百貨展」会場写真
文字そのものじゃなくて、音が耳から脳に届いて鳴ったときに「あなたはどう感じますか?」ということが、彼の言葉に含まれているんじゃないか。もっとさらっとしているのかもしれないけれど、もう一回、考え直すようなことを問われている気がして、深読みしたくなりますね。
―この作品を、写真絵本にする予定があるそうですね。そちらもたのしみです。
田附 勝(たつき・まさる)
写真家。富山県生まれ。1998年から2006年にかけてデコトラとそのドライバーを撮影し『DECOTORA』(2007、リトルモア)を発表。2006年頃から東北に通い、土地や人と交流しながら『東北』を発表(2011、リトルモア)。本作で2012年、第37回木村伊兵衛写真賞受賞。その後も東北に通い続け、釜石での震災後初の鹿猟を捉えた『その血はまだ赤いのか』(2011、SLANT)、鹿猟師たちの最後の猟の日々とその名残を追った『おわり。』(2014, SUPER BOOKS)、八戸の漁師や浜の暮らしに迫った『魚人』(2015、T&M Projects)等を発表。2012年から撮りためた《KAKERA》をもとに『KAKERA』(2020、T&M Projects)を発表。見えるもの見えないものの「あいだ」を問うように現在まで撮影を続けている。